2024年4月27日土曜日

小石川後楽園(2)

 お茶の水駅付近 小石川後楽園(1)の続きで、さらに「大泉水」の回りを歩く。こちらも「池泉回遊式庭園」で池の周りを歩くと、景色が次々と変わっていく所である。藩政期には、水辺に映る月影を楽しむための夜の船遊びなども行われていた。この際にこの灯篭は灯台として使われたという。



















池の「猿渡」という石組の所には、着物を着た女性をモデルとして写真を撮っていた。


















「蓬莱島」の近くの小さな岩島に水鳥が来ている。


ところどころ築山があり、向こう側には神田上水跡や「八掛堂跡」がある。


















中国の「明」から亡命したという学者・朱舜水(しゅ・しゅんすい)は、1665(寛文5)年に光圀に招かれて、駒込の水戸中屋敷で過ごし、この後楽園の造園にもかかわった。
その舜水が設計したという石造のアーチ橋は、水面に映る満月のように見えることから名付けられた「円月橋」である。


















現在は安全のため、残念ながら渡ることはできない。


















この石畳の階段は、京都の愛宕坂に倣って造られたもので、47段石段からなっている。下方の川など周りの雰囲気は「和漢」がテーマになっており、日本と中国の景勝地が調和して配されているという。



































休憩所の中の建物付近に、ピンクと白の梅が咲いていた。














この松は「一ツ松」と呼ばれ、枝ぶりの良い琵琶湖の大津の唐崎松を模している。こちらは樹齢100年以上の古木があったが、現在のものはそれを受け継いで植えられ推定樹齢は70年以上と言われる。


















今はこの池の遠景として、現在では高層ビルやその下には東京ドームが見える。東京ドーム辺りも昔は、この水戸後楽園の中に含まれており、現在の庭園は藩政期の1/4くらいだという。


















「西門」の近くにある「涵徳亭」という茶亭で一服した。そして庭園の景色を見ながら生菓子と抹茶を頂いた。















「駐歩泉」は9代斉昭ががこの流れを、西行法師の和歌にちなみ命名したという。
























この辺りの紅葉林では、紅葉の名所である奈良の「竜田川」にちなんでいる。
























こちらは山奥に入ったような「木曽山」と称され、内庭池水の末流が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽川の名所「寝覚ノ床」にちなんで呼ばれている。