2013年12月1日日曜日

瓶割坂、成学寺、妙慶寺

犀川大橋から広小路方面に上がる坂を瓶割坂(かめわりざか)と呼んでいる。
名前の由来は源義経の一行が北陸を通って奥州に向かった際に、この坂にさしかかった時に義経の妻が産気づき、あわてて衣類を瓶から取り出そうとして瓶を割ってしまったということから付いたというから面白い。




















この坂の途中に「津田水引店」がある。ここの水引は、以前はその平面的な結びと折型を初めて立体的な亀や鶴などの細工にして豪華に飾ったのが創始者の津田左右吉で、その後2代目の津田うめの代に「加賀水引」として全国的に高い評価を受けたという。この店では今でもこれをベースとして結納品や祝儀袋を一つひとつ手作りで作っている。




















次に寺町通りの一本目を左に曲がると「成学寺」(じょうがくじ)がある。




















ここの境内には俳人の堀麦水が建立した「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」の芭蕉の句が刻まれた「芭蕉墳」がある。堀麦水は蕉風復興運動の中心的存在で、全国行脚もした。




















願念寺にある「一笑塚」は知っていたが、ここにもあった。




















その隣にある「妙慶寺」は利家の家臣の松平康定が佐々成政との交戦で戦勝した時の本陣で、後に金沢に移った。




















ここには、あの有名な禁門の変で14代の前田よしやすの行動の責任をとって、琵琶湖畔の海津で自刃した松平大弐(だいぎ)の墓がある。境内の横には、その大弐についての石碑があった。何が書いてあるのかわからなかったが、明治時代に活躍した16代当主の前田利為や尾小屋鉱山を興した横山隆興などの名前が読めとれた。




















また、寺の中にはとんびに化けた天狗が、命の恩人である5代目和尚のために書いたといわれる「火除けの額」がある。




















成学寺の向かいの角には八坂神社(祇園社)があるが、ここの鳥居は赤戸室でできているという珍しいもので、こじんまりとした神社である。






















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