2014年4月23日水曜日

旧前田侯爵邸和館、池上本門寺

前回の続きで、旧前田侯爵邸洋館の裏に書院造りの「和館」があった。ここは洋館ができた翌年(昭和5年)に外賓の迎賓館として建てられた。




















和館内部の大広間には、重厚な床の間、違い棚のほかふたつの広間の間には透かし彫りのすばらしい欄間などを見ることができた。




















また、水屋、寄付きなどを備えた茶室が広間の奥にあった。そこの引き戸には草花が描かれていたが、、ガイドの人がスモールライトを当てると草花が浮き上がるように光って見えた。何か特殊な材料を使っているのであろうか?








































縁側からは五葉松などの樹木、流れのある池、芝や石の配置が見事な庭が眺められ、落ち着いた雰囲気が味わえた。




















兼六園にある月見灯篭に似た灯篭やミニチュアのことじ灯篭もあった。




















また、駒場公園の入口の右側に「前田育徳会」、「尊経閣文庫」の表札のかかった建物があった。ここには加賀百万石前田家の蔵書や美術品などの国宝や重要文化財が数多く保存されているということであるが、非常に貴重なものがあるということで中には入れなかった。




















16代前田利為は「加賀松雲公」や「加賀藩史料」などの編纂をしたり前田育徳会の財団を設立しこの建物を建てたりし、加賀百万石の偉業の保存に力を注いだ。

次に大田区池上にある「池上本門寺」に行った。ここは日蓮聖人が1282(弘安5)年に入滅(臨終)された霊跡である。
階段を上ると総門があるが、ここの扁額の「本門寺」は後で知ったが、琳派の創始者でもある本阿弥光悦の筆だそうである。




















「大堂」は空襲で焼けてしまったが、昭和39年に鉄筋コンクリート造で再建され、日蓮聖人の御尊像が安置されている。




















「常唱堂」というところは「お祈りすると目がよくなる」と書いてあったので、最近目に不安がある私としては丁寧にお参りした。




















その隣の「鐘楼堂」に鐘が二つあったが、ひとつは空襲で火を被り亀裂と歪が生じたため傍らに仮安置されているという。




















富山県新湊市の美術会社より奉納されたという「日蓮聖人像」


























関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔であるという。2代将軍の徳川秀忠が悪性の疱瘡にかかり、法華信者であった乳母岡部の局がここの12世に病気平癒の祈願をし、その甲斐あって快癒したので、そのお礼として建立したという。


























少し歩くと、立て札に「力道山の墓」の矢印があったので見に行った。力道山といえば我々世代の英雄で、子供の頃にテレビで外人プロレスラーを空手チョップでやっつけているのをよく見たものだ。「ブラッシー」が相手の額をかんで口を血だらけにしているシーンをテレビ見ていた老人が興奮して亡くなったというニュースがあったのを覚えている。




















また、前田利家の室の「芳春院」のあとに人質として江戸にいた3代利常の生母の「寿福院」が建てたという層塔が東京のこういう場所で思いがけなく見ることができた。11層あったのが崩れてしまって現在は5層になっていた。


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