2014年11月21日金曜日

西町界隈(1) 西町教育研修館  尾崎神社

前々回に続き、近江町市場の十間口を出て、西町方面に歩いた。
藩政期にこの通りの右側には「町会所」があり、左側には「西内総構堀」があったというが、今は全くその面影がない。ここは私の小学校、中学校の時の通学路だったが、その頃にあった店がわずかに残っていた。




















大通りを左に曲がると、すぐ近くに「西町教育研修館」がある。ここの建物は、以前「石川県繊維会館」と呼ばれ、地元の建築家で文化勲章を受章した谷口吉郎の設計した建物である。




















現在は、「金沢子ども科学財団」と「金沢大学サテライト・プラザ」が入っている。




















建物の奥に入ると、建てた当時からある「折鶴」のシャンデリアがある。辺りが暗かったが、じっと見ていると職員の人が気を利かせて電気をつけてくれた。




















左にある部屋に入ると「角間の里の裂き織グループ展」というものをやっていた。
古くなった布を細かく裂いて麻糸など共に織り上げた再生衣料で、女性ならではのかわいらしいものが並んでいた。




















その奥の部屋には金沢大学の紹介がされており、「公開講座」などのパンフレットなどが置いてあった。2階には「サテライト・プラザ講義室」がある。




















「西町教育研修館」の横にある趣のある古い建物は、茶室がある有名な「旧園邸・松向庵」で、以前入ったことがあるが、見ごたえのある部屋がいくつかあるが、本日は休業だったのでまたの機会に紹介したい。




















通りの突当たりに重要文化財の「尾崎神社」がある。ここは1643(寛永20)年に4代藩主の前田光高が金沢城の北の丸に東照大権現社として建立した。明治になって神仏分離により「尾崎神社」と改称され、金沢城が陸軍用地になって、現在地に移された。藩政期には、この地は「御算用場」であり、映画「武士の家計簿」に出てきたところだ。





















天照大神、光高の曽祖父の徳川家康と3代利常を祀ってある。
幕府の木原杢のじょうが設計し、加賀藩の大工の清水助九郎らが施工したという。朱塗りの社殿には徳川家の「葵の紋」があちこちにちりばめられていて、豪華な色彩と飾り金具で飾られ「北陸の東照宮」と呼ばれている。









































今回、中は見れなかったが、重要文化財となっている拝殿、幣殿、本殿、中門、透塀の概観を見ることができた。




















本殿の中にある彩色や大型の金銅花熨斗釘隠は、現存の京都二条城二の丸御殿の金具に匹敵するものといわれている。前田家がこの東照宮のために一流の職人を招いたことが分かるという。













「金沢城調査会 金沢城を探る」より






また、本殿を支える雲形の腰組は、他の建物では見れない金沢東照宮独特のものだという。










「金沢城調査会 金沢城を探る」より








拝殿、本殿などの隣にある「稲荷社」