2015年4月5日日曜日

兼六園、金沢城の桜 2015

金沢の桜が3月31日に開花宣言があり、今日はその4日後の土曜日で、兼六園、金沢城の桜の説明も聞けるということで行ってきた。
新幹線開業、春休み、桜が見ごろということもあって、兼六園、金沢城とも、すごい人出であった。




















石川門の横の石垣の下の「沈床園」には、午前10時というのに「場所取り」で、既にブルーシートが何枚か敷かれていた。




















兼六園の桂坂入口も人で一杯だった。また、今が稼ぎ時ということなのか露天の店も多く並んでいた。




















兼六園には、40種類、420本の桜があるという。そのうち半分は「ソメイヨシノ」である。
桜には自然に咲いた「ヤマザクラ」と人が作った「サトザクラ」があり、「ソメイヨシノ」は「サトザクラ」で、江戸末期に東京の染井村の植木職人が「大島桜」と「エドヒガン桜」を交配して作ったという。
今回は、このブログで、2014.4「兼六園の桜」で紹介した桜以外のものを紹介する。
いつも見ている桂坂口から入ると「ソメイヨシノ」などの桜が咲き誇る「桜ヶ岡」からでなく、先ず茶店通りの下の百間堀通り沿いにある「唐見桜」を見た。これは園内で一番早く咲く桜で、もう既に散っていて橙色の葉だけになっていた。2週間くらい前の新聞にきれいに咲いているのが載っていた。




















さらに広阪方向に歩くと、「佐藤桜」という桜があった。この桜は、美濃の旧国鉄バス車掌の佐藤良治さんが、金沢から名古屋まで260Kmを結ぶ金名線に乗務していた。いつかこの街道を桜並木にしようということで、桜を植え続けていたが夢半ば、昭和52年、47歳で亡くなったという。その遺徳を偲んで植えられたという。








































真弓坂の途中にも「菊桜」がある。この菊桜は兼六園に何本かある。千歳台にある天然記念物の「兼六園菊桜」は花びらが360枚くらいだが、ここは100~200枚という。やはり白、ピンク、赤と変わっていき、最後は首根っこからポツリと落ちるという。「ソメイヨシノ」より1ヶ月近く遅く咲く。
花びらが1~5枚を「一重桜」、10枚以上を「八重桜」、70枚以上を「菊桜」と呼ぶと説明を受けた。




















兼六園では「ソメイヨシノ」が咲いている4月上旬には、梅の花も同時に見れ、一層華やかに見える。また、椿もあちこちに咲いていた。
梅と桜の違いは、梅は花びらの先が丸いが、桜は花びらの先が割れている。梅の花柄(首)は短いが桜は長い。梅の木の表面は割れ目があり、ザラザラしているが、桜は横縞模様があると説明を受けた。




















曲水にかかる「板橋」の近くに「十月桜」がある。この桜は11~12月と4~5月に2回咲くという。




















「根上松」付近に井戸の中から咲いている異様な桜がある。この桜は「小糸桜」と呼ばれているが、その異様さからこの桜にまつわる伝説がある。
藩政期に、「小糸」という美貌の御殿女中が主人から寵愛の声がかかったが、どうしても従わなかったために手討ちにされ、この井戸に投げ込まれてしまった。その井戸からのびる桜は恨みをこめて井戸から這い上がろうとする彼女の化身といわれている。




















茶屋「寄観亭」の横に咲いていた「ヒガン桜」




















噴水近くにあった「楊貴妃」と呼ばれる桜は、まだ咲いていなかっが、世界三大美女といわれる名前が付いた桜はどんな風に咲くのか一度は見たいものだ。




















まだ他に、「普賢桜」は象のキバに見立てて名づけられた。また、「フクザクラ」、「ウワズミザクラ」、「コシノヒガン」など多くの桜について説明を受けたが、私はあまり知らないので、今後、調査して紹介していきたい。
何しろ「兼六園の桜」は種類が多く、4月初旬から5月中旬ころまで長く楽しめるので、いろいろ覚えていきたいと思う。




















石川門のほうへ戻ると、さらに人が増えていた。




















金沢城の中に入り、三の丸から菱櫓横の「お堀通り」は桜並木になっていて、見ごたえがあった。
ここの石垣は、加賀藩の石垣技術者の後藤彦三郎は「城内でも一番きれいな石垣」とほめたたえている所である。




















管理事務所の裏から新丸や卯辰山、医王山などの山々が見える場所に1本きれいな桜があった。