2016年4月17日日曜日

寺町台地と犀川沿い(6) 犀川緑地 御参詣坂 雪見橋

寺町台地と犀川沿い(5)の続きで「いしかわ子ども交流センター」の前から、「雪見橋」を超えて、「大桑橋」まで、約2km以上が「犀川緑地」の公園となっている。




















この日は(4月2日)は天気が良く、3日前に桜が開花したばかりで、今は5部咲きぐらいで、これくらい咲いているのも見ごたえがある。




















午前中の早い時間なのでまだ花見の人も少ない、








































ここの向こう岸に「鞍月用水」の取水口があるが、ここ数年の護岸工事により昔の面影とはすっかり変わってしまった。
「鞍月用水」は、江戸時代に菜種油を採る目的で、絞油水車を回すために、犀川のこの辺りに巨大な堰(油瀬木の名前が残る)を設けて、「鞍月用水」の入る水量を豊富にした。それでこの辺りの川幅は非常に広かった。








































少し歩いて、左側に平和町へ上がる坂がある。この坂は「御参詣坂」と呼ばれている。車道に石段を併用した平均22度の急坂だ。坂というより崖という雰囲気でS字カーブになっている。
この坂を上がる車は、この坂付近に住んでいる人だけで、通過者は通行禁止となっているという。




















坂の途中に石柱が建っている。藩主などが野田山へお墓参りに通られた坂で、この名前が付いた。桜橋から船に乗って、法島の船着き場で船を下りてこの坂を通ったという。この坂の延長上に、1682(天和2)年に利家の墓詣のために建設された「野田往還」がある。




















ここからまた「犀川緑地」に戻り、少し歩くと古めかしい建物があった。この建物は、旧加登長香林坊店を香林坊第2開発事業により移築したもので、明治末期に倉屋氏が建てたもので、、これを昭和12年に加登長の吉田長久氏が買い取って、1階を食堂に、2,3階を宴会場に改造したものだという。宴会場は、戦前戦中は兵士と家族の面会や四高生などの会食の場として広く市民に親しまれてきたという。移築するにあたり建築基準法に適合させて2階建てに改造したという。




















この建物の中は、ギャラリーになっていて、犀川沿いを散歩する人の一服の場となっている。



木で作られた「尾山神社神門」や「金沢城石川門」「キリコ祭り」など、それに子供たちがこの辺に植栽している写真などが飾られていた。
この建物の前で一服している伯父さんに話しかけられ、少し話をした。この人は毎日午前に1時間、午後に1時間歩いているという。話をしている途中に何人もの人が挨拶して行ったが、顔なじみだと言っていた。




















ここの建物の前にきれいな「もくれん」の花が咲いていた。




















さらに歩いていくと、長い立派な橋が見えてきた。これが、犀川で最も長い「雪見橋」で、187.5mあるという。




















橋全体に曲線を取り入れ、高欄に雪見障子風の窓、橋の中央にはきれいなステンドグラスが入っていた。ここまでなかなかくる機会がないからからゆっくり見てきた。




















「雪見橋」から見た下流側の風景。護岸工事が進みすっかりきれいになった。