2016年6月23日木曜日

2016東京ドライブ(1) 赤坂離宮迎賓館

今回は、途中の観光地も巡りたいと思い、2泊3日で東京へ車で出かけた。(6月7日)梅雨入りもしてしまったが、なんとか雨は降っていなかった。横川サービスエリアで恒例の「釜めし」を食べて、東京に入り、2時ごろ「赤坂離宮」に着いた。正門は白い鉄柵160m、中央に正門と横に脇門があり、正面中央部に金色の菊の紋章が輝いている。




















ここは、これまで毎年夏の10日間だけ一般公開されていたが、今年の4月からいつでも見れることになった。ネットの情報からたいへん混雑していると予想したが思ったより楽には入れた。
この迎賓館は、かって紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、1909(明治42)年に東宮御所として建設されたものである。構造は鉄骨補強レンガ造りで、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設したもので、日本におけるネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築だという。




















この建物は、昭和天皇や今上天皇が一時期にお住まいになっただけで、東宮御所としてはあまり使われなかったという。戦後は皇室から行政へ移管され、公的機関に利用されていた。その後、国際関係が緊密化し、外国の賓客を迎えることが多くなったため「旧赤坂離宮」を改修し、迎賓館をつくることとなり1974(昭和49)年に完成した。開館以来、世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓がこの迎賓館に宿泊し、歓迎行事を行い、政財界要人との会談など華々しい外交活動の舞台となっている。また、先進国首脳会議などの会場としても使用されている。
建物の外観は外壁ががっしりと造られた2階建ての宮殿で、翼を広げたような形をしている。




















建物の中央正面にはバルコニーのついた玄関で、上部に菊のご紋章が飾られていて、両脇の屋根に甲冑がある。




















また、少し離れた左右の屋根にそれぞれ天球儀と金色の霊鳥が飾られて、屋根は緑青でおおわれている。


























建物の南面のベランダにはイオニア式の大円柱が並び、ルーブル宮殿とよく似ているという。南に面した庭には大きな噴水池がある。




















また、その周りには枝ぶりのよい松が何本か植えられていた。




















本館内部はカメラ禁止だったので撮ることはできなかったが、入場の際にもらったパンフレットに載っていた写真で紹介する。所々に説明員がいて説明してくれた。
「彩鸞の間」は、白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫で装飾され、10枚の鏡が広く部屋を見せている。
この部屋は、表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えの間として利用されたり、晩餐会の招待客が国賓などに謁見したり、条約‣協定の調印式や国賓などとのテレビインタビューなどに使用されているという。








「赤坂離宮迎賓館」パンフレットより











「花鳥風月の間」には天井に描かれた36枚の絵や、欄間に張られたゴブラン織風綴織、壁面に飾られた30枚の七宝に花鳥風月が描かれている。
この部屋は、主に国賓などの主催の公式晩餐会が催される大食堂として使われる。










「赤坂離宮迎賓館」パンフレットより









「朝日の間」は天井に「朝日を背にして女神が香車を走らせる姿」の絵が描かれ、周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石である。
この部屋は、国賓などサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などが行われている。










「赤坂離宮迎賓館」パンフレットより









「羽衣の間」には、天井に謡曲の「羽衣」の景趣を描いた曲面画法の大絵画が描かれている。3基のシャンデリアは、ここで最も豪華なもので、高さは3m、重さは800Kgあり、壁には楽器、楽譜などをあしらった石膏の浮彫で飾られている。また正面にはオーケストラボックスがあり、かってはこの部屋で舞踏会として設計されたという。
この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場などとして使用されている。










「赤坂離宮迎賓館」パンフレットより









日本国内の最高級の迎賓館を初めて見たが、まるでヨーロッパ風の宮殿のようで何とも素晴らしい建物と内部の豪華な雰囲気であり、よい体験をした。