2016年8月17日水曜日

超雲寺(旧中川家)(1)

今回は、芳斉にある浄土真宗のお寺の「超雲寺」に行った。
ここの住職さんのお父さんとは、随分前から知っているので、あらかじめ連絡をし、仲間と一緒に尋ねた。




















超雲寺は一向一揆時代には、寺井辺り(?)にあったらしいが、江戸に入り金沢に移り、江戸時代は3か所場所が移ったという。幕末には、東末寺辺りの極楽橋の横にあったのが古地図に載っている。




















明治に入って、今の玉川図書館辺りに移ったが、明治の中頃に専売公社を作るというころで、現在地の「旧中川家」の敷地に移ったという。「旧中川家」は今の「松枝緑地」にあった「中川八郎衛門」の分家で、400石の平士であった。
写真は本堂で、その裏に檀家さんのお墓がある。




















境内にある梵鐘は戦前に供出されたが、戦後すぐに作られたという。




















門の横には見事に「百日紅」のピンク色の花が咲いていた。




















住職さんの住居の玄関の横には藩政期の「旧中川家」の本屋の玄関であろうか?その両側の白壁に「花頭窓」の古めかしいデザインがなされている。




















家の中に入り、90歳を超える住職さんのお父さんから説明を受けた。




















まず、400坪を超える広大な「旧中川家」の庭園を見せてもらった。江戸時代からの松や椿の木、石や灯篭が置かれていた。これを維持していくのは大変なことであろう。








































建物は本屋が間口9.5間(17.2m)、奥行き9間(14.5m)あり、独立した茶室がつながっている。








































茶室は半鴨居四畳半本勝手という。小さな障子のあるところが「躙り口」であろうか。現在も普段使っているところである。