2016年8月21日日曜日

超雲寺(旧中川家)(2)

超雲寺(旧中川家)(1)の続きで、その後、土蔵の前の上方を見ると「カゴ」が置いてあった。平士以上の武士は「藩主のお目見え」が許されていたので、登城の際などに使われたいてのであろうか?




















土蔵の扉は格子戸になっていた。




















写真の植物は町中では見れない珍しいものだという。


























土塀は藩政期当時のもので傷んだら補修しているが、金沢市の助成金はわずかだと言っていた。重要伝統的建造物保存地区と違うので、助成金も少ないのか?維持するのも大変らしい。




















庭園の隅に井戸があったが、昭和30年ごろまではよく使っていて、すいかなどを冷やしていたと住職さんが言っていた。




















座敷は普段使われているので見れなかったが、座敷から縁側を通して庭を鑑賞するようになっている。




















廊下には片側が「蔀戸」になっていて、下側の取っ手を持って上に引き上げて、引っ掛けることにより扉が開き、外の風を全面的に取り入れることができる。現在はお客さんの控室から本堂への通路となっている。




















大通りの横の小道には、長町武家屋敷に2,3軒残っているのと同じような「長屋門」があった。




















その玄関の右側には、外の様子を監視するための「武者窓」があり、門の下方は長町武家屋敷の長屋門と同じように戸室石が使われていた。




















長屋門の内側から見ると、左側には「中間部屋」があり、右側には2頭がいたと思われる広さがある「厩」があったが、ここも現在は物置として使われているので中は十分に見れなかった。




















本屋は、藩政期は平屋だったが、明治になって2階にしたらしい。




















敷地の裏側に「大野庄用水」が流れているが、ここに橋が架かっており、「超雲橋」の名前が付いていた。




















長町武家屋敷の平士の住居として「旧高田家」が観光客に見られるようになっているが、現在は屋敷はなく、庭園も再現されているだけだが、ここは江戸時代の住居、庭園がそのまま残っているので、よっぽど見ごたえがあると思う。