2016年10月29日土曜日

京都ドライブ(1) 寺田屋 東福寺

今回は、少し遠出し、お寺や庭園を見たいと思い、2泊3日で「京都」にドライブに行った。朝のラッシュ前に金沢を出て、午前10時半ごろに京都に着いた。まず見に行ったところは、幕末の動乱期に最も有名な「坂本竜馬」ら志士たちが常宿としていた「寺田屋」に入った。京都には彼が活躍した足跡があちこちに残っているという。
















ここは、薩長同盟後に刺客に襲撃された「寺田屋騒動」の現場であり、妻「お龍」と出会った場所でもある。
















この部屋には「坂本竜馬」の肖像画やゆかりの書などの掛け軸が掛かっていた。

また別の部屋の柱には銃の弾痕跡や刀で切りつけた傷跡がはっきり残っていて、すさまじい戦いであったことが偲ばれる。


























「坂本竜馬」や「中岡慎太郎」の写真や関係資料があちこちに貼られていた。入浴中だった「お龍」の知らせでここでは何とか逃亡に成功している。
















宿の隣の庭にも「坂本竜馬」の小さな像があり、戦いの現場となった「寺田屋」や「坂本竜馬」について書かれた(?)石碑などがあった。
















その「寺田屋」から歩いて5分くらいの所には「坂本竜馬」らが京都と大阪の移動に使ったという「淀川」に繋がる川の「十石舟」の船着き場がある。
















ここ「伏見」は大阪と京都の中継点として多くの人々が行き交わっていた宿場町で、人や物資の輸送手段として活躍したのは「十石舟」で、今でも約1時間の遊覧で「竜馬」が見たであろう風景を満喫しながら楽しめるという。
















昼食後、東山区にある代表的寺院の「東福寺」に行った。京都はもう何回か来ているが、有名な寺でもまだ見ていないところが多くあり、ここも初めてである。
「東福寺」は関白九条道家が創建した臨済宗東福寺派の大本山である。ここには、戦前・戦後を通じて日本庭園界に大きな功績を残した重森美玲作の庭がいくつもあるという。その代表が、この方丈庭園だという。方丈を囲んで、東西南北の庭の趣向が違う「八相の庭」と呼ばれる枯山水の庭園である。下の写真は方丈南庭の左側から見た石組である。方丈・蓬莱・えい洲など神仙島を表現している。

















方丈南庭の右側には五つの築山があり、京都五山を表現しているという。
















北庭には、独特の「石松模様」があり、石と苔との調和が素晴らしい。
















下の写真は「経蔵」と「殿鐘楼」の建物で、「殿鐘楼」は漆喰壁に覆われた室町後期の建物という。
















方丈と開山堂を結んでかかる「通天橋」から眺める紅葉と新緑は絶景であるというが、真っ赤な紅葉にはまだ1か月くらい早かった。
開山堂の楼閣そびえる伝衣閣にある「三国伝来の布袋」像は伏見人形のルーツである。また、普門院前の庭園は江戸時代中期の名園である。
















ここの白砂の波紋は「市松模様」になっていた。
















この寺の真ん中を通る「三の橋川」という小川が流れていて、渓谷風の「洗玉澗」の紅葉も見ごたえがあるという。
















周りの苔庭と木々も落ち着いた雰囲気がある。