2017年2月7日火曜日

信州ドライブ(7)室生犀星旧居 堀辰雄文学記念館

信州ドライブ(6)の続きで、「旧軽井沢銀座」を散策した後、近くにある「室生犀星旧居」に行った。
金沢の三文豪の一人の室生犀星の別荘は、軽井沢に来たらぜひ見たいと思っていたところだ。東京で執筆活動していたが、はじめて軽井沢を訪れのが大正9年で、軽井沢の清涼な空気と美しい自然に魅せられた犀星は、つるや旅館を常宿とし、萩原朔太郎、芥川龍之介、松村みね子らと交友を深め、軽井沢の生活は犀星にとって忘れないものになったという。
この旧居は、昭和6年に建てられたもので、亡くなる前年の昭和36年まで毎夏ここで過ごした。
この家には、堀辰雄、津村信夫ら若き詩人が訪れたり、近くに滞在していた志賀直哉、川端康成ら多くの作家と交流があったという。



















はなれの書斎であろうか、ここにいる時間が長く、執筆活動をしていたのだろう。















お座敷では、近くに住んだいた文学者たちが集まっていろいろな話に花を咲かせたことだろう。一体どんな話をしていたのだろうか?















隣の部屋には、その当時に写真が並べられていた。















この別荘は、犀星が裏山で石や木などを探して持ってきて自ら作庭したものというが、そういえば、金沢に帰った際に「天徳院」の寺領に土地を借りて庭を作っていたし、終の住処となった馬込にも庭も作り、終生庭づくりに専念した。これは単に趣味ではなく、詩や小説を書くといった創作活動と一体のものであろうという。下の写真は犀星が創作した東京、馬込の庭







「犀星」より











ここを管理しているおばさんに「私たちは金沢から来た」と言ったら、「私もこの間、金沢へ行き、雨宝院、犀星記念館などを見てきた」、「金沢で食べた魚は大変おいしかった」と言い、その後、意気投合して金沢や室生犀星などについての話が弾んだ。
近くに文学者の別荘がいくつかあったが、今残っているのはここだけだという。
茶室(?)の前には素晴らしい苔が生えていた。室生犀星は苔庭を作るのに特に余念がなかったらしい。以前はもっと素晴らしい苔庭だったと管理人が言っていた。















続いて、軽井沢の町並みを外れて「堀辰雄文学記念館」に行った。



軽井沢が避暑地として見出されて以来、その自然、風土に魅せられて多くの文人たちが訪れていますが、とりわけ堀辰雄は軽井沢をこよなく愛した作家のひとりである。
大正12年、19歳の時に室尾犀星に伴われて軽井沢を初めて訪れた。以来毎年のようにこの地を訪れ、豊かな自然の中で読書や散策をしたり、作品の構想を練り、執筆するなど数々の名作を生みだした。



















昭和9年ごろから古い宿場町の面影を残す静かな地「追分」を訪れるようになり「風立ちぬ」、「かげろう日記」、「姥捨」など数々の作品を執筆するようになった。昭和19年からは疎開と療養を兼ねてこの追分に住むようになった。そして、家を新築し、1年10か月の療養の日々を送り昭和28年に亡くなった。平成5年に堀辰雄終焉の地に「堀辰雄文学記念館」を開設したという。



















堀辰雄終焉の家となった部屋の内部



















堀辰雄が蔵書を納めるために建てた書庫になっている部屋



















堀辰雄の軽井沢の文学地図と別荘の写真(昭和10年代のころ)で、室尾犀星や川端康成の別荘も地図に載っている。