2017年8月26日土曜日

鳥越一向一揆まつり(1)

今回は、白山市の旧鳥越村で、一向一揆衆の最後の砦「鳥越城」で織田信長軍と激しい攻防を広げた先人の遺徳をしのぶ「鳥越一向一揆まつり」のイベントを仲間と一緒に見に行った。
まず、鳥越公民館で「一向一揆と白山信仰」という題で、石川県の中世の歴史の第一人者である「東四栁先生」の記念講演会を聞いた。



今年は山岳修行僧の泰澄が717(養老元)年に登って以来、白山が開山して1,300年にあたる節目の年である。
 泰澄が山頂近くの碧が池辺りで座して拝んでいると、池の中から九頭竜王のが現れ、さらに十一面観音が現れたという。このことが、白山縁起の泰澄和尚伝記に描かれているが、実在したかははっきりしないという。





「泰澄の木像」(林西寺蔵)

「ふるさと偉人伝」より
















熊野信仰も白山信仰も阿弥陀如来を本地仏としていて、本願寺八代法主の蓮如さんが吉崎から布教をはじめ、その後、北陸におけ政治的・宗教的世界に大きな影響を与えた。真摯な分かりやすい言葉をもって阿弥陀仏の教えを説く蓮如の教えが、社会不安におののく武士や民衆に受け入れられ、北陸の山野に急速に念仏の声が高まったという。







「蓮如像」(本聖寺蔵)

「ふるさと偉人伝」より















ところで白山の山懐にある山内の荘で最後まで戦った「鈴木出羽守」は本願寺から別格の扱いを受けた門徒の親方で、侍であったという。
また、加賀の「百姓の持ちたる国」の「百姓」とは、一般のコメなど生産する農民でなく、半分は農民を管理する地主と半分は門徒の武士であることを聞いた。
続いて、すぐ近くにある「鳥越城跡」や「二曲城跡」の解説や出土品などが展示されている「鳥越一向一揆歴史館」に行った。



















大日川をはさんで、「鳥越城跡」と「二曲城跡」がある山を表したジオラマがあった。どうしてここに砦を作ったか、非常に攻めにくい地形であったことが分かる。この少し手前は手取川から大日川に分かれる場所である。



「鳥越城跡」から出てきた長い刀と、発掘した時の状態が写った写真が展示されていた。
他にも出土遺物として、越前焼大壺や中国産染付皿なども展示されていて、その出土状態が非常に良いもので出てきたという。



















一向一揆時代の城と主な寺が記された地図があったが、この時代の加賀地方に非常に多くの城や寺があったことが分かる。その代表格が「鳥越城」である。
河北郡、石川郡、能美郡、江沼郡には、一向一揆衆の組が構成され、柴田勝家軍と対峙した城跡として、和田山城(旧寺井町)、波佐谷城(小松市)なども見える。



















下図は「西方寺大阪本願寺合戦絵巻」

























道の駅「一向一揆の里」前ではステージに軽音楽の演奏が行われていて、多くの人が聞き入っていた。他に太鼓演奏や獅子舞なども行われた。この日は最後に花火大会があり、夜の9時まで行うという。
過疎化が進んでいる旧鳥越村としては、多くの人に来てもらいたい村あげてのイベントであろう。