2017年11月8日水曜日

東北地方北部ドライブ(4)平泉 中尊寺②

東北地方北部ドライブ(3)平泉 中尊寺①の続きで、その後、別料金を払って「讃衡蔵」に入った。ここには、中尊寺に伝わる3000点以上の文化財が収蔵され、平安時代の国宝や重要文化財も以上に多い。ここの展示品は、すべてカメラ禁止だった。



















平安末期の「金銅華まん」(国宝)で、金色堂の装飾具として用いられた






「金色堂」の本より












「紺紙金銀字公書一切経」(国宝)






「金色堂」の本より












藤原清衛が前九年・後三年合戦の犠牲者を弔うために、20年の歳月をかけて造営したという中尊寺の中でも絢爛豪華な「金色堂」は何としても入りたい所だ。



















金色堂には三基の須弥壇を構え、それぞれ「阿弥陀如来像」を本尊とし、観音、勢至の二菩薩、六体の地蔵尊、持国、増長の二天を安置する。また、壇の中には藤原氏父子四代の遺体が納められているという。
マルコポーロに「黄金の東洋のジパング」と言わせしめたことがうなずけるほど、きんきらきんに光っていて見ごたえがある。





「金色堂」の本より













金色堂の内陣天井






「金色堂」の本より












金色堂の横には「経蔵」がある。中尊寺に伝わる経典が保存していた蔵である。現在、経典は「讃衡蔵」に収められている。



















松尾芭蕉が「奥の細道」で中尊寺に旧暦の5月に立ち寄り、「五月雨の降りのこしてや光堂」の句碑の建っていた。



















「夏草や兵どもが夢の跡」と歌い義経の悲劇に涙したという。この「奥の細道」の巡錫記念の松尾芭蕉翁の像が建っていた。



















さらに奥に行くと、白山神社の能舞台があった。1853(嘉永6)年に伊達藩によって建立されたという。近世能舞台としては東日本唯一とされる貴重なものだという。藤原まつりの神事能や中尊寺薪能などで現在でも使われている。